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去年の末にでた近田春夫が参加したやくしまるえつこの“おやすみパラドックス/ジェニーはご機嫌ななめ”はその組み合わせの妙味はもとより、ゼロ年代の終わりに、その10年のムードをつくってきた80年代の回帰へ向かうベクトルを歌謡曲とJポップのグラデーションと捉えなおした、ある種のたくらみを感じさせた一枚だった。私はそれをはじめて聴いたのは巨大な宴会場がある那須高原のホテルの控え室にあてた一室だった。彼女はそのとき、TUTU
HELVETICA名義のライヴをおこなっており、私は彼女にそのとき「TUTU HELVETICAは流動的なものなんです」と聞き、その夜、TUTU HELVETICAはsimの大島輝之の曲を一曲披露した。相対性理論は話題を集めた2008年の『シフォン主義』以降、去年のはじめに『ハイファイ新書』をだしたときにはもうひとり歩きしはじめた彼らのパブリック・イメージ??やくしまるえつこはそのアイコンでもある??とどう向き合っていくか実験ともいうべき試みに乗り出していて、ポップであることと実験的であることを音楽の枠にとどまらず考え(ざるを得ず)、ゼロ年代の同調圧力を逆手にとった重層的なやり方でスリ抜けようとした気がして、私はそれを「たくらみ」と書いたがそこまでのものではないかもしれない。だけど、TUTU
HELVETICAをはじめいつくかのプロジェクトを平行させる方法論と、「実践」「解析」と名づけた彼らの自主企画ライヴ・シリーズのラインナップ、さらにはそこから派生したやくしまるえつことsimや栗コーダー・カルテットとの共作、渋谷慶一郎と相対性理論のダブルネームの『アワーミュージック』といったここしばらくの彼女(彼ら)の活動は、同時代のポップスへの彼らの批評だったというよりも、「批評」という言葉がさわがしくいわれはじめたこの数年を、その批評性までふくめ俯瞰することであり、やくしまるえつことd.v.dは『Blu-Day』でそれを一歩先に進めている。
ItokenとJimanicaのドラム・デュオに山口崇司の映像をくわえたd.v.dはこれまで〈ex-po/HEADZ〉から音+映像盤の『01 >
01(01 Less Than 01)』をだしていて、彼らの音楽と映像が同期した表現は、制作から流通までが完全にデータ化した現在の音楽環境を視聴覚化したかにおもえるが、舞台の上手と下手に配置したドラムスという身体性をつよく喚起させる楽器の存在感とカラフルでポップな音楽性は、デジタルの高解像度な印象よりむしろビットレートを落としたアナログにちかい質感で彼らの表現にどこか過去形の近未来感をあたえていた。数年前、私は六本木の美術館でみた彼らの展示のちかくに佐藤雅彦の作品があったのをよく憶えていますが、きっとそこにはd.v.dの音楽では音が生まれるプロセスにこそ彼らの表現であり、そこに発見があるとのキュレーターの意図があった。私は彼らの音楽言語とプログラム言語が浸食しあう様子をみた気がして立ち止まって考えた。私はd.v.dのおもしろさは音楽をトリガーとして(あるいは映像が音楽のトリガーとなって)互いが干渉し合う過程を提示することで、音楽の経過をアルゴリズムのメタファーとして可視化したことにある。たとえば彼らの音楽がソフトウェアのプログラムで音楽を自動生成させただけなら彼らの作品のプロセスはブラックボックスになり、アウトプットを解析するしかないのだけど、d.v.dのポップさはあくまでもドラムス/ヴィジュアル/ドラムスの立ち位置とかコンセプトとかアイデアがまずあって、それを再生する音楽の渦中にうまれるものだ。オンタイムで。その意味で、d.v.dの(アヴァン・)ポップはアーカイヴ・カルチャーよりむしろ古典的でずっと音楽的でもある。
かつて競演歴のあったやくしまるえつことd.v.dはこうやって(どうやって?)タッグを組み、『Blu-Day』では彼らの方法論が二重化したようにおもえる。コラボレーションというとケミストリーとか乗数とかをもちだして音楽の成り立ちは忘れるひとがいたり、よくて最小公倍数さもなくば最大公約数的な出来映えで残念だったりすることも多いが、やくしまるえつことd.v.dの『Blu-Day』は連立した方程式から新たな未知数を導きだそうとするようでもある。私にはその二重化した数式の解は言葉の意味性であったり80年代の象徴としてのテクノポップである気がする。もちろん意味といっても、メッセージ性ならフォークでことたりるわけで、ティカ・α名義で書いた歌詞で遊ぶように軽やかに韻をふんでいくやくしまるえつこは彼女のもうひとつの表現手法である朗読をフックにつかい(“いただきMt.Blanc”“アラビアンリップ”)、笑い声(“ALPS”)や時報(“時計ちっく”)といったある種のフェティシズムにさえ応えようとする。かつて私は編集をしていた雑誌に特典で彼女の朗読CDをつけたとき言葉が音になり固定した文字に潜む音楽性が露わになったとおもい、前述の那須高原で彼女といっしょに演奏したとき身体が介在する即興の形式で目の当たりにして、パフォーマティヴなポップアートであるゼロ年代の演劇とのリンクをも考えたが、それは山口崇司が作ったDVDに収録した“ファイナルダーリン”の映像にヒントがある。やくしまるえつこの仕草は前述のパブリック・イメージへのシアトリカルな回答であり、オーソドックスなバンド形式の相対性理論では(演奏風景を映像化するとエモーションを誘発してしまうので)ダイレクトに表現できないものでもある。両手からこぼれ落ちそうな抽象的でシュールなやくしまるえつこの言葉と併走するItokenとJimanicaのトラックは、あらためて聴き直すと、80年代的というよりも70年代的なアヴァン・ポップ(プログレッシヴ・ロックをふくむ)と(プレ・テクノポップとしての)フュージョンの残り香を私に感じさせ、聴き返すごとに印象はまた変わりそうな気配さえして、この方程式の解は変数だったかな?と不安になりもするのだけど、相対性理論には元からそういう要素があって、『Blu-Day』と同時期にでるやくしまるえつこが参加したジム・オルークのバカラック・トリビュートや、相対性理論の3枚目のアルバムまで含めて、しばらくこの簡単なようで複雑なアルゴリズムにハマっていられそうでなんだかたのしい。
松村正人
やくしまるえつこ と d.v.d 『Blu-Day』 購入特典
※特典は先着でのお渡しとなります。数に限りがありますのであらかじめご了承ください。ご希望の方はお早めのご予約/ご購入をお薦め致します。
●タワーレコード オリジナル特典 「ライブ映像DVD(アルバム未収録曲)」
●HMV オリジナル特典 「アルバム未収録 スペシャルトラックCD」 ●TSUTAYA オリジナル特典
「オリジナルポストカードA」 ●ディスクユニオン オリジナル特典 「オリジナルステッカー」
●他協力店舗 特典 「オリジナルポストカードB」 ※上記チェーン店及び他協力店舗におきましても、一部お取扱いのない場合がございますので、あらかじめご了承下さい。
もしくは事前にご利用店舗様に、お問い合わせ下さいますようお願い致します。
着うたフル(R)配信中
「ファイナルダーリン」「時計ちっく」「勝手にアイザック」の着うたフル(R)がレコチョク
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やくしまるえつこ(相対性理論、TUTU HELVETICA、ほか)とd.v.dによる新ユニット「やくしまるえつこ と d.v.d」が始動。2010年4月7日に8曲入りアルバム『Blu-Day』が発売。(CD+DVDの2枚組)
繰り返し聴きたいと飢餓感をあおるのは佇まいのコンパクトさのせいかとさいしょおもったけど、それだけでない気がする。やくしまるえつことd.v.dの『Blu-Day』はプログレッシヴ・ロックとトイ・ポップを内側にふくめたテクノポップとはいえるはずなのだけど、メロディとリズムと映像と言葉の四者の間に張り巡らされたトリガーは音/映像化されるとすぐにトラップに転位して、私たちの耳に過去から現在までの体系の樹形図が逆立ちしたような奇妙なポップさをかんじさせる。
(南部真里)

やくしまるえつこ と d.v.d
やくしまるえつこ: vocal d.v.d are Itoken: left drums Jimanica: right drums Takashi Yamaguchi: visual programming Produced by やくしまるえつこ と d.v.d Production Cooperate: 守屋カズヒロ(みらいレコーズ)